患者の同意書 本質は信頼関係の構築
東北大法学部助教授(民法、医事法) 米村 滋人
医療の現場では最近、同意書の必要性が異常に高まっている。
私が昨年まで勤務していた東京都内の病院では、簡単な検査や処置に加え、ケアをするにも同意書が必要である。
病院によっては、手術同意書に数十ページもの大量の説明文を添付している。
元来、同意書とは医療行為について患者の理解を助けるもので、医師との信頼関係を強めるのに有効な手段である。医療の透明性が高まり、医師の専断性や隠蔽体質の改善にも役立つ。
だが、実は、多くの医療機関が同意書を重視するのはそんな理由からではない。同意書は医療行為を法的に正当化し、訴訟の場で病院側の主張を補強する「証拠」と見られている。
背景には、衣装紛争の急増に伴って、日常的に訴訟対策に迫られる医師らの苦悩がある。
だが、その認識は正しいのだろうか。
同意書があっても、法的に同意が無効とされる場合もあり、状況次第では推定的同意でも十分だからだ。説明義務違反に問われないとも言えない。医師の説明内容が適正かどうかが重要なのだ。
同意書は訴訟上の一資料として、説明内容の立証を多少容易にする意義しかないのである。
米国のように、契約書などにあらゆる事項を書かなければ、法的責任を追及される国とは、法の運用が異なるということが、理解されていないのではないか。
同意書が増える理由は、「訴訟対策に有効だろう」という病院側の思い込みによる側面が極めて強い。
だが、その弊害は無視できない。医師が大量の文書の作成に時間を費やすため治療方針を検討したり、最新の知見を学習したりする機会を、犠牲にせざるを得なくなっている。
地域によっては、勤務医の確保すら困難な所も多いが、数多くの医療行為について、過剰とも言える文書作成が不可欠になれば、医療全体の質を低下させる危険性が大きいのは明白だ。
確かに、患者側には手術の同意など重要な決断をする際には、できるだけ詳細な事前説明が望ましい。だが、患者や家族が専門的な情報を、医師から大量に提示され、即座に同意書に署名を求められても、説明の内容を正確に理解できるだろうか。
インフォームド・コンセント(十分な説明と同意)という言葉が定着してきたが、医師の多忙さもあり、十分には実現できていない。だが、医師は患者の理解と納得を得る努力を惜しむべきではない。
患者の信頼こそが医療行為の基礎だからだ。信頼なくして質の高い医療は期待できない。
患者の信頼を得るには、一人ひとりの意思や看護師が、それぞれの患者と向き合って答えを出すべきだろう。病院が機械的に取りがちな同意書の実態を検証して、社会も議論を重ねて欲しい。
医療はプロセスが大切だ。同意書を取るのに精力を費やすのではなく、患者の信頼を得ることに本質があることを、医師も社会も忘れてはならない。
74年生まれ。内科医。法学研究の傍ら診療に従事。
(朝日新聞6月7日朝刊「私の視点」より転載)
|
|
|
|
|
|